「ゼッタイ恐怖症」

 「絶対うまくいくから」、「絶対ウソつかないから」。今まで生きてきて話のアタマに絶対とついて、その通りになったためしがない。そんな僕はゼッタイ恐怖症。それでもこのキーワード、普段の会話の中に結構入っているものなのである。皆さんは恐怖症にかかっていませんか?


 そもそもの意味を調べてみた。辞書では「何ものにも比較できないこと」、「間違いのないこと」、「完全なこと」などとある。この余裕のない緊迫した完全無欠感が過度の期待を生み、そしてそれが達成されないことで何かしらの失望を生むのだ。
 先日、八百屋で好物の梨を買ったときのことだ。店主らしきオヤジさんに「このコウスイと20世紀はどっちがお勧め?」と聞いた。沖縄ではあまりおいしい20世紀に出会ったことがないので、期待して産地などを聞いたつもりだったのだが、オヤジさんの応えは「これはいい20世紀だよ。絶対お勧め」だった。「また恐怖症が」と思いながらも、自分の希望する方を推してくれたので、信じて買ってみた。結果は「まずまず」。まぁ商売上の言葉なので誇大表現だとしても、もしその言葉がなかったら、感想は「いけるじゃん」に変わっていたかもしれない。それでもこのくらいのことは我慢できる程度のかすかな失望だ。
 しかし仕事上での「絶対」には警戒が必要だ。成功している経営者の人でそのキーワードを使っている人を見たことがない。逆に綿密に計画を立てないタイプの人の方がこの言葉を使いたがる傾向があるようだ。そのキーワードを言うことによって、穴ぼこだらけの計画や、商品、企画を埋められると考えているのだろうか? TVで良く見る元政治家もこの言葉連発していたなぁと思い出すことも度々だ。


 ところが、僕の周りで恐怖症にかかっているのは極わずかなのだ。友人に聞いてみても「気にしすぎなんじゃない」と軽い返事。そこで視点を変えて考えた結果たどり着いたのが「ゼッタイはもう絶対ではないのかもしれない」ということ。その言葉自体、完全の80%くらいを評価するようなニュアンスでしかないのかもしれない。でも、「絶対幸せにするよ」なんて言って結婚式をあげるカップルの離婚率が50%に近づいていることを考えると、もう少し評価のパーセンテージを下げた方がいいのかもしれない。