「別離の言葉」

 誰かと離れ離れになるとき、いつも感じることがある。それはまた会えるか会えないか。
いつからだろうか、その直感めいた予測は外れたことはない。だからいつもそんな場面に直面すると考えてしまう。


どんな言葉を言ったら良いかと…。


 また会える感じがするときは少々気楽だ。それはどんな遠い場所に離れるのであっても同じで少々連絡が取れなかろうが、しばらく音信普通になろうが、その人との縁はまだまだ続くからである。そんな人との別れの場面は、ある意味それまでの「清算」の意味を伴う。頭と口に直通の電話線を敷いたかのように言葉を勝手に押し出し、不都合があって言わずにおいたことや謝りたいこともドサクサのなかで言ってしまうのである。

普段ならチクチク根に持つ人でもそのときばかりは怒りもしない。別れと言うその劇的な瞬間が解毒の作用として働くらしいのだ。もちろんそんな小さい悪意のある告白だけではない。卒業や転校、転勤、退職などを期に恋を打ち明けたり普段言えない感謝の気持ちを素直に言えるのも「また会えるような別離」の清算効果なのかもしれない。だからこそそんなときは、その人に届くようにハッキリと「さよなら」を言うことにしている。時々オプションで涙もつけるとより効果的だ。


 困ってしまうのはもう会えないと感じるときの別れだ。その人との空間の中で何を話して、何を伝えたらいいのか頭の中が混乱するのである。そしてその人と最後にHUGをしたり握手をしたりするのをためらってしまう。仲間がいれば先に行かせ、自分は一番後方に位置するのが常である。そしてその後に及んで何を言っていいか言葉を一生懸命探すのである。そして決まって「・・・・」。


何も話せない。


 数年前祖父を亡くし、今年の6月に祖母を亡くした。予感などではない本当の「もう会えない別れ」を体験したときもそうだった。


「・・・・」。言いたいことは山ほどあったはずなのに。心では「ありがとう」を何度も、何度も繰り返していたのに。



 やはり二度と逢えない別れでは言葉は言葉にならなかったらしい。いや、今考えるとそれが精一杯の言葉だったのかもしれない。


「・・・・」。かわりに涙がこぼれました。