エッセイ

「子離れ」
 MIKE Sugiyama

 作詞、作曲をやっていて一番複雑のは、僕の作った楽曲をシンガーが歌いあげて、その歌自体が「シンガーのもの」になった瞬間。それは娘を嫁に出す両親の心境に近いのかもしれない。
 2年程前、僕の友人たちがかわいい女の子の親になった。結婚5年目で待ちに待った第一子だっただけに、その後の両親のかわいがり方は常軌を逸したと取れるほどだ。またそのお子さんが母親似で、他人が見ても美人になるなぁと思わせるような顔立ち。父親は今から「大きくなったら俺の嫁にする」と訳の分からんことを言う始末。それでも「いつかは嫁に出すんだよ」と言うと、想像したのか本気で涙ぐんでいた。そのときは、子供のいない僕には共感できない他人事だった。そしてそんな出来事をライブハウスの中で思い出すとは思いもよらなかった。
 シンガーがアンコールで僕が詞を書いたバラード曲を歌っていたときのことである。僕はシンガーの背後に曲の物語を映した映像が流れているような錯覚に陥った。その瞬間涙が溢れ、あの父親の彼のことを思い出した。今から考えると、それが歌をシンガーに奪われた瞬間であり、家に帰ってもあまりの切なさにシンガーに嫉妬さえした。
 それからしばらくして、今度はシンガーがぽつりと言った「曲がファンのものになっていきそうな気がする」。その日のアンコールでその歌が歌われたとき、会場のファンがその歌を口ずさみ最後のフレーズが合唱になったとき、僕はシンガーに嫉妬をすることを自然に止めた。自分の創りだしたもの、自分の育てたもの、自分の宝物がその意思で世の中に歩き出していく。その旅立ちは究極の悲しみとともに、何物にも変えられない喜びを伴うことを知ったからだ。
 それでも新しい曲を作る度に「誰にもやらん」という気になってしまうのはどうしてだろう。それが手塩にかけた曲であればあるほどその想いは強い。理屈じゃないのである。そして前述の友人と「娘は嫁に出さん」などと意気投合するのである。こいつも結末はすでに解っているんだろうなぁなんて思いながら…。
 当分子離れはできそうにない。