沖縄論

友人に借りた小林よしのり氏の「沖縄論」を読みました。
氏の作品はよく読むのですが、今回は自分自身住んでいる沖縄について書かれているもので、普段にまして興味深く読みました。
 自分なりにかいつまむと「日本の現代史と沖縄の現代史は表裏一体」であったり「基地の作る富が心を飢えさせる」だったり「虐げられた過去が、受身体質を生んだ」「日本政府の沖縄に対する無関心」「沖縄が対米の争点」など。挙げるときりがないくらい色んな視点で検証されており、沖縄の人にも内地の人にも厳しいエールが詰まっていました。
やはり、どの人の立場で考えるかで、問題と言うものは形を変えるもの。基地問題にしても、沖縄の住民、日本国内の国民、日本政府、アメリカの政府などの各視点から見えるものは全く違います。各自自分の利益にそって見るのはある程度当然でしょう。
小林氏は核武装賛成者で右翼的なイメージをもたれる人も多いでしょうが、ある程度そこら辺も含みおいた上で、あえて読者の啓蒙を促そうとする部分大いにあるようです。沖縄県内では新聞紙上で「沖縄を侮辱する人」とのレッテルもあるようですが、本屋には「沖縄論」が山積みされてることを考えれば、そういった排他的なものの考え方自体は消え、バランスが取れているように感じます。
「沖縄に対する考え方」に関して、ボクは氏と考え方は近いのですが、現地に住んでいるという点で感じ方がかなり違ってきます。強く思うのは「基地があることによる身の危険」と「ここはやはり日本ではない」、「甘え体質の慢性化」です。これは日々感じるものなので、その面からどうしても敏感になってしまいます。

一見、穏やかな南の島と言うイメージが先行するこの島ですが、今までの歴史の皺寄せは確実にあり、それが末期に来て出口が見えないことに誰も気づかない振りをしているようなのです。わたしが感じたことは感情論や水掛け論ではなく「まず自分自身の考えをもち、その判断において行動することが大事」ということ。あたりまえのことですが、それすら放棄してしまっている人が多いことを残念に思うのです。
その上で、「最終的な平和」に向けて進んでいきたいですね。残念ながら平和は自分に向かって進んできてくれそうにないですからね。多分、そのほか自分が欲しい未来に関しては同じなのでしょう。

だから、進んでいきましょう。

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論

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